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大悲願寺「伊達小次郎は生きていた!? 政宗白萩文書と御朱印」

此度は、東京都・あきる野市にあります「金色山 大悲願寺こんじきざん だいひがんじ)」に参詣して参りました
名勝「秋川渓谷」に抱かれた多摩地域屈指の古刹で、別名「萩の寺」とも呼ばれる白萩が有名な寺院であります。
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【大悲願寺】

山 号:金色山 宗 派:真言宗豊山派 創 建:建久2年(1191)
開 山:澄秀(ちょうしゅう)僧正 開 基:平山季重(ひらやますえしげ)公
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最寄り駅・・・?
快晴の9月末日。天候には恵まれたものの10月目前というのに秋の気配どころか夏のような日差しが照りつける中、
JR五日市線「武蔵増戸むさしますこ)」駅に到着しました。ここから大悲願寺まで約1.4kmを歩きます。
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STAND BY ME ♪
ベン・E・キングの名曲を脳内再生させながら五日市線の線路沿いを西へ西へ。
一本道をひたすら進むだけですし、途中途中には案内板もあるので迷うことはありませんw
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横沢丘陵
ほどなくすると丘陵の斜面に趣のある仏閣らしきものが・・・さらに進むと、いよいよ大悲願寺に到着です!w
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中 門(あきる野市指定有形文化財
武蔵増戸駅方面から来るとまず最初に目にする中門(ちゅうもん)。
朱雀門すざくもん)とも呼ばれるこの門は、安永9年(1780)に建てられました。
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楼 門(あきる野市指定有形文化財
中門を過ぎると、いかにも年代物感がハンパない巨大な楼門(ろうもん)が姿を現します。
両脇に一対の仁王像が安置されている事から「仁王門におうもん)」とも呼ばれるこの門は、慶長18年(1613)に
建立され、その後、何らかの理由で消失したものを寛文9年(1669)に再建し、さらに安政6年(1859)に改築されて
現在に至っているそうです。
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観音堂(あきる野市指定有形文化財
仁王門をくぐり境内に入ると「無畏閣むいかく)」とも呼ばれる観音堂(かんのんどう)が厳かに佇んでいます。
古くから地元の人々に「秋川観音あきがわかんのん)」と呼ばれ、多くの信仰を集めてきたこちらのお堂内には、
木造〈伝〉阿弥陀如来三尊像(阿弥陀如来・千手観世音菩薩・勢至菩薩)/国指定重要文化財」という三体の像が
安置されており、毎年4月21日に御開帳されているそうです。
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本 堂(東京都指定有形文化財
間口24.5m、奥行き13.6mの方丈型本堂。
建久2年(1191)の開山以来、本堂は2度建て替えられており、現在の建物は元禄8年(1695)に造営されたもの。
当初は寄棟造よせむねづくり)と呼ばれる技法を用いた茅葺き屋根でしたが、昭和28年(1953)に防火対策として
入母屋造いりもやづくり)の瓦葺きに改修。しかし、各部の老朽化に伴い平成5年(1993)に修築工事が行われ、
その際に、可能な限り造営当初の様式を復元しようという試みから「入母屋造茅葺き型銅版葺き」という現行の姿に
なったそうです。
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東国花の寺百ヶ寺
冒頭でも述べましたが、ここ大悲願寺は「東国花の寺百ヶ寺」の一つで別名「萩の寺」とも呼ばれる白萩の名所。
同じ訪れるなら、やはり萩の咲く季節を!と思い例年の見頃とされる9月下旬から10月上旬の内、ちょうど真ん中の
9月末を狙って訪問しましたが・・・残念ながら今年の見頃は例年より少し早かったようで、境内を白く埋め尽くす
満開の光景を観ることはできませんでした
それでも、所どころに小さく可憐な花が咲き残っており、萩の寺の雰囲気は十分堪能することができました
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伊達政宗白萩文書東京都指定有形文化財
今回、大悲願寺を訪れた最大の理由は、私が崇敬する貞山(ていざん/伊達政宗)公と当寺に結び付きがあるため。
その結び付きを物語る証左となるのが寺に代々伝わる↑画像・下の「白萩文書しらはぎもんじょ)」です。
川狩り(鮎釣り)のために秋川渓谷を訪れた貞山公が大悲願寺に立ち寄った際、庭一面に咲く見事な白萩に感動し、
後日、飛脚を使わして白萩の株を分けて欲しいと所望する内容が記されています。
この文書は、貞山公が大悲願寺の13世住職「海誉上人かいよしょうにん)」に宛てて書いた書簡で、「風流」を
こよなく愛した「伊達男」の貞山公らしいエピソードとして今に伝わっています。
現在、白萩文書は一般には公開されておらず、境内の一画に建つ説明板(↑画像・上)に「写し」が印刷されている
だけなのですが・・・実は今回、何とお寺の方のご厚意で特別に「原本」を拝覧させて頂く事ができました
とても貴重な体験をさせていただき、本当に本当にありがとうございました。
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秀雄は小次郎か!?
白萩と貴重な遺構や文化財を数多く収蔵する大悲願時。そんな多摩の古刹には「ある奇妙な話」が伝わっています。
前述の13世住職・海誉上人の下に「秀雄しゅうゆう)」という弟子がいました。大悲願寺に残る「金色山過去帳
によると、この秀雄なる人物は「伊達輝宗公」の二男と記されており、つまりは、貞山公のご舎弟だというのです。
しかし、伊達家の記録に秀雄という人物の名前は見当たらず、また、一般に貞山公の男兄弟は「伊達小次郎」のみと
されていることから、この秀雄は謀反のかどで誅殺された小次郎君ではないか?という説が生まれたわけです。
通説では、天正18年(1590)に貞山公が小田原に参陣する際、その隙をついて弟を伊達家当主に擁立せんと画策する
母・義姫の企みを挫くため、小次郎君は貞山公によって成敗されたことになっています・・・が、実は殺されず僧侶
となって生きていた・・・!?(コレって、まんま「花の慶次」の内容と同じですね
う~ん、にわかには信じがたい話しですが、貞山公が大悲願寺を訪ねているのは事実ですし、そこに川狩りとは別の
「何らかの目的」があっても不思議はないんですかね。
もしかすると、寺に白萩を所望したのも単に見事だったからという理由の他に、図らずも離れ離れになってしまった
唯一の弟が暮らす場所に咲いていた花を自身の近くに置くことで小次郎君に思いを馳せていたのかも知れませんね。
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寺務所と御朱印
観音堂の別名でもある「無畏閣」と記された御朱印。
無畏とは、人の心に巣くう「畏=怖れ・不安・怒り」といった負の感情を観音菩薩様の慈悲をもって取り払い無くす
ことだそうです。
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秋川の流れ
仁王門から南へ300mほど行った場所を流れる秋川の清流と鮎釣りをする釣り人。
貞山公もこの辺りで川狩りを楽しんだのでしょうか?

今回、同じ東京都に住みながら片道2時間をかけてのプチ旅行となりましたが、天気にも恵まれ、白萩も鑑賞でき、
何より白萩文書のオリジナルを直接観ることができて本当にありがたく幸運な旅でした。

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by rinpyou | 2015-10-07 14:30 | 伊達政宗

戦国乱世を活きた数多の群雄たち。彼らの息吹は数百年の時を経た現代においても日本全国で感じることができます。このブログではそんな歴史の息吹を感じる各地のスポットを紹介していきたいと思います。


by 琳 豹